相川家茶室「觴華庵」パネル展 開催中
地域の文化遺産を保存修理工事した際の貴重な記録です
相川家の由緒と觴華庵の歴史的価値
相川家は江戸時代に脇本陣や町年寄役を務め、伊勢崎藩の御勝手御用達を担った旧家です。幕末期には家業は金物商を営み、明治時代になると、当主の俊保は醤油製造に進出。その後、肥料販売や質屋営業など事業を拡大していきました。
茶室は茶事を好んだ抄保(俊保の父)が隠宅として文久元年(1861年)に建てたものでそうです。俊保もお茶を嗜み、「碧水」と号していました。俊保の息子で、相川考古館の創始者である之賀(しが)は私財を投じて考古資料を収集し、考古館として現在に至っています。
之賀が発行した『伊勢崎町歴史絵葉書』の封筒の表書きに「觴華庵蔵版」と記されており、現在、相川家の茶室は觴華庵(しょうかあん)の呼称を持っていますが、その由来は明らかになっていません。
觴華庵の歴史的価値は建築年代、1860年(万延元年)上棟、1861年(文久元年)竣工であり、群馬県内にある最も古い茶室であること。さらに造営史料としての貴重な古文書が残されていることなどからも貴重な地域の文化遺産であるといえます。そこで伊勢崎市から1993年に市指定重要文化財と定め、また2000年には群馬県指定重要文化財に指定されています。このような貴重な文化遺産を後世に伝えるため、保存修理工事が行われました。
保存修理工事について
觴華庵の同工事は2008年3月に完成し、同年5月には献茶も行われました。今後も一般の方々に開放し、多くの人に愛される地域の文化遺産となっていくことでしょう。相川考古館へお出かけの際にはぜひ、実際の觴華庵をご覧になって下さい。
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