いせさき明治館 第11回語部(かたるべ)のつどい
”いせさきもんじゃ”はこうして生まれた
町田さんのもんじゃ焼き教室講師、もんじゃとの出会い
毎月、いせさき明治館で開催されています。第11回目はいせさきの食文化の1つ、もんじゃ焼きがテーマでした。語部の町田つねさん(安堀町)は市内公民館でもんじゃ焼き作り教室の講師をしています。
? なぜ、もんじゃ焼き教室の講師をすることに?
町田さんのお店は安堀町にあります。今は「町田やきまんじゅう」ののぼりだけですが、実はもんじゃもやっています。以前は小中高生くらいまで食べに来ていましたが、次第に大人のほうが多く来店するように・・・。そこで町田さんは鉄板を囲み仲間と食べるもんじゃの良さを子供たちに伝えたいとの思いと、子供の頃お店の常連だった市役所の方の依頼もあり、公民館での講師を引き受けたそうです。
? 町田さんともんじゃの出会い〜「おおくま屋」さんのこと
今から約25年前、子供たちのリクエストで町田さんのお店でもんじゃ焼きを始める時、その頃駅前通りにあった「おおくま屋」さん(現在は店じまいしている)へ味見に行きました。ここは“いせさきもんじゃの元祖"といわれるお店。そこのおばあちゃんは有名な方で、もんじゃを食べに来た子供たちに「今焼いていて、火傷するから静かに!」とか「残すともったいないから、食べきれる分だけたのめよ。」などしつけに厳しい方でした。またそのお店には鉄板が1つしかなく、鉄板の中に自分のもんじゃを焼く場所を決め、他のお客と仲良く使うこともおばあちゃんは教えていたそうです。町田さんの教室でも、それらを大切に子供たちに伝えています。
町田さんが教室で教えるいせさきもんじゃは?そしてどこから来たの?
材料は刻みキャベツと小麦粉、ウスターソース、カレー粉など。いせさきもんじゃ特有の“あま"にはカキ氷のシロップが入ります。これは「おおくま屋」さんもほとんど同じだったそうですが、始めからシロップというわけでなく、昔はラムネ、チョコレート、赤くて四角い板状の紅(べに)という人工甘味料を入れたそうです。スナック菓子もその頃から入れていたようです。かつて駅周辺には「おおくま屋」さんのようなお店が何軒かあり、また駄菓子屋さんにはどこにでも鉄板があったとのこと。これがいせさきもんじゃの始まりのようですね。
公民館でのもんじゃ焼き教室に参加した親子の方々のアンケートには「ソースがとてもおいしかった。」「自分で焼いて楽しかった。」など子供たちからの感想があり、昔の子供が好んで食べた味を今の子供たちも気に入っているようで、町田さんも教室に手ごたえを感じています。
?いせさきもんじゃはどこから来た?もんじゃ焼きの始まりは?
もんじゃの発祥は浅草であるという説があります。浅草といえば鉄道、東武伊勢崎線で伊勢崎とつながっている場所。伊勢崎まちガイド会長の伊比さんによると、明治43年(1910年)に東武伊勢崎線が開通後、こうした食の文化が入ってきたのではないか?とのことでした。
歴史的には定かではないものの、もんじゃ焼きの始まりは葛飾北斎が書き残した「北斎漫画」(1819年刊)に文字焼きの挿絵があることから、すでに江戸時代にあったのではと見られます。鉄板のうえで文字や絵を書いて遊び、食べたという“文字(もんじ)焼き"が次第に“もんじゃ焼き"となったようです。語部つどいに来ていた年配の方は「伊勢崎でも昔は、具はほとんどないタネと呼ばれるうどん粉の汁状のものをスプーンで鉄板にたらし、文字や絵を上手くかけることが子供たちの自慢だったよ。」と話していました。
今年も「いせさきもんじゃまつり」開催!
第6回いせさきもんじゃまつり開催について
取材日:2008年8月/アイマップfuru
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