12月13日(土)、いせさき明治館で「第13回語部の集い」が開かれました。伊勢崎市に伝わる伝統行事や風物にスポットを当て、その起源や習わしなどを語部の方からうかがい、伊勢崎市を深く理解するこの集い。今回は、毎年1月に行われる「いせさき初市」がテーマ。「初市」といえば、真っ赤な“だるま”ですね。「縁起だるまといせさき初市」と題し、語り部の群馬県立歴史博物館 主幹 横田 雅博先生のお話を聞きました。
みなさん、だるまさんといえばやはり「縁起だるま」が有名ですよね。張子だるま生産の全国で8割を占める群馬県高崎市。いせさき初市でももちろん売られています。今回の集いでは今の形の張子だるまが、いかにして高崎で作られるようになったのか?から始まりました。
そもそも、だるまさんって日本人?いいえ違います。だるまさんのモデルはインドの王族の出身。5、6世紀頃、中国の少林寺で修行し、禅宗を広めた「禅宗の祖」と呼ばれる人です。9年間壁に向い黙って修行をしたことで有名ですよね。
日本では中世、武士の時代に栄西や道元らによって禅宗の臨済宗、曹洞宗が広められます。そして各地で達磨の絵が盛んに描かれるようになりました。江戸時代初期になると、中国から渡来した東皐心越禅師(とうこうしんえつぜんし)が一筆達磨の札を盛んに民衆に配るようになりました。
その後、江戸後期の高崎では、浅間山の噴火による被害のため、天明の大飢饉が起こりました。そこで農家の副業として、小林山住職9世の東獄和尚が一筆達磨の絵をもとに木型を作り、張子の達磨を作らせたのが始まり。田んぼが少なく、稲作ができなかった高崎の豊岡町、八幡町、鼻高町周辺ではだるまを作り、1月7、8日の七草の縁日で売ったのです。最初は一筆達磨の絵と同様に座禅をする型が作られていました。また、中国では不倒翁(おきあがりこぼし)のおもちゃが人気でした。次第に養蚕の成功を祈願するため、繭の形に近い丸いだるまを作るようになり、起き上がりこぼしの要素も加わって現在の形になったようです。
こうして農家の副業で作られただるまさんは、かごに入れ天秤棒で担いで、群馬県内各地の縁日で売られるようになりました。では、いせさき初市がなぜ1月11日なのでしょう?今では、「学校が休みの土日にすればいいのに・・・。」という意見も良く聞かれます。しかしこれにはちゃんと由来があります。
現在のいせさき初市の前身は、戦前、新年最初の太織りの取引の日に行われた初市です。その時、本町4丁目でだるま市が開かれていたそうです。それが1月11日であったため、現在でも同日に行われるようになったそうで、この初市は群馬県で3番目の規模をほこる縁日です。
来年も同日に「いせさき初市」が開催されます。初市では、高崎のだるまさん以外に白河、越谷のだるまさんなども販売されています。お店で顔を比べて見るのもおもしろそうですね。今年の「いせさき初市」もその他にもたくさんの催し物が繰り広げられます。ぜひお出かけ下さい。
今回の集いで13回になる「語部の集い」―。 2ヶ月に1度の割合で開催され、約1年が経つそうです。同会を主催する「いせさき街ガイド」会長の伊比さんは「新しい年を迎えてすぐに恒例の初市が行われますが、初市や縁起だるまの由来を知ったうえで、楽しんで欲しいと思います。これからも古くから伝わるいせさきの風物詩を大切にし、次の世代へ語りついで行きたいと思います。」と語っていました。
【記者雑感】
子供の頃、当たり前に神棚に飾られていただるまさん。こんなに深いものとは思いませんでした。まず仏教の禅宗の祖でありながら、神棚に飾られているだけでも不思議なことですよね。それになぜ真っ赤なのか?なぜ両方とも目なしで売られているのか?等々考えて見ると、不思議なことがたくさんありました。語り部の横田先生はそれらを丁寧に解説され、とても興味深い話でした。しかしここで全部紹介するのは難しく、一部をご紹介しました。
農家の副業だっただるま作りも今では工場で大量に作られています。しかし最後の工程の顔塗りや顔描きだけは今でも手作業だそうです。さらに買う側も現在は、豊蚕祈願よりも受験の合格、選挙の必勝、恋愛の成就祈願のだるまさんが人気だそうで、時代とともにだるまさんも色々様変わりしているようです。新年ももうすぐ―。皆さんも新しいだるまさんをお宅へお連れ下さい。
取材日:2008年12月13日/アイマップfuru