経営者の輪Vol.362 柏井建設株式会社 専務取締役の柏井由高さん
経営者の輪Vol.362 柏井建設株式会社 専務取締役の柏井由高さん
今回、お話を伺うのは、柏井建設株式会社 専務取締役の柏井由高さん。音楽が大嫌いだったと言う柏井さんが、音楽に目覚め、その音楽で学んだ人生の礎になるもの、自分の力で入社した会社で得たもの、柏井建設に入社してからの苦悩ややりがいなどを伺いました。
吹奏楽で関東大会に3年連続出場
おじい様が設立した柏井建設株式会社で専務を務めている柏井由高さん。
最初の転機といえるのが、小学校5年生の時。大きな病気をして1年間の入院を余儀なくされたのです。退院後はスポーツを控えるよう言われ、休みの日にはお母さまと一緒に3歳年上のお兄さまの吹奏楽部の応援や手伝いについて行っていたそう。市立第三中学に入学後は、スポーツOKのお達しが出たものの、身体の不安があって運動部に入ることを躊躇。馴染みの顔が多い吹奏楽部に自然と足が向きました。当時、三中は強豪校として知られ、関東大会出場の常連校でした。大きな大会で活躍するお兄さまへの憧れもあり、入部。お兄さまと同じ金管楽器の花形であるトランペットを担当しました。依然として、市内の強豪校ではあったものの、残念ながら在学中は関東大会への出場は果たせませんでした。
そのことがとても悔しかったそう。「仮に関東への出場を果たしていたら、吹奏楽を続けていなかったかもしれません」と柏井さん。そして、当時高校では県下ナンバーワンと言われていた前橋商業へ進学します。
朝は始発の電車に乗り、帰りは最終を逃すまでの頑張りよう。365日中360日は練習に明け暮れていました。ここでは単純に音楽を極めるだけではなく、顧問の先生や先輩達がマナーや生活習慣について前商吹奏楽部の伝統としてとっても厳しかったそう。「上下関係や挨拶の仕方など、社会で必要になることは、全て前橋商業高校の吹奏楽部で学びました」と話します。そして「あの厳しい環境でやってこられたのだから、どこへ行っても大丈夫という自信になりました」と笑顔を見せます。
柏井さんは努力の甲斐あって、1年からレギュラーに。関東大会に行くのは当たり前と言う環境の中、プレッシャーはありましたが、3年連続で出場を果たしました。お兄さまに追いつきたいと続けた吹奏楽。関東大会に初めて出場した1年目は「並んだ」、2年目、3年目は「追い越した」という思いに包まれました。
大学は、当時の先生の勧めもあって、お隣の長野県にある長野大学へ。ここでも吹奏楽を続けます。しかし、高校時代とは打って変わった環境。全くの初心者もいて、まさに「音を楽しむ」穏やかな雰囲気の部活でした。柏井さんがみんなをまとめ3年次4年次は指揮者としても活躍をしたといいます。
10年間、他社でキャリアを積んで
学生時代も後半に差し掛かると気になるのが、卒業後の進路です。ご実家はおじい様が設立した柏井建設株式会社。公共施設や大型店舗なども手がける大手の建設会社です。それまで1度も跡を継ぐと言う話をされたことのなかった柏井さん、自分の進路についてご両親はどう思っているのか尋ねたところ、当時既にお兄様が会社に入っていたこともあったのでしょう。入社を強制することなく「自分のやりたい道を」と勧めてくださったそうです。
そうであれば、と早速就職活動を開始。友達と一緒に群馬県内で開かれた合同企業説明会に参加しました。
「やりたいことがあるわけでもなく、行ったもののフラフラしていました」と柏井さん。ここで、次の転機が訪れるのです。たまたま目の前にあったのが、カネコ・コーポレーションのブース。同社は、建設機械機具・車輌のレンタル及び販売を手掛ける会社で、柏井建設とも取引がありました。そこで担当者と話をすると、苗字から早くも柏井建設のご子息という素性が分かってしまうのです。
その後、進んだ面接で、当時の部長(後に社長)からも「実家を継がなくてよいか」と尋ねられました。これまでの経緯を話したものの、いずれ柏井建設に入る可能性がないとはいえません。「そういう人材を雇うわけない、落ちたと思いました」と柏井さん。しかし1つだけ希望があったそう。それは勤務地に関するものでした。「勤務地が長野になったら?」と聞かれたとき「全く問題ない、むしろ長野の方が!」と答えたのだそうです。
数日後、見事合格通知を手にします。そして、卒業と同時にカネコ・コーポレーションの松本営業所で働き始めました。職種は、営業。上司についてお得意先を回る毎日が始まりました。「その時の上司であった所長の営業スタイルに影響された」と言う柏井さん。「有名人でいうと明石家さんまさんのよう」という所長は、相手先のところにすっと入り込み、明るく会話をしながらいつの間にかファンの和を広げられる人でした。
上司のようにするものの、断られたり、邪けんに扱われたりしたこともあったそう。相談すると「何度でも行けばいい」とのアドバイス。重い気持ちを抱えながらも尋ねて行くと
「また来たのか?」
「はい、また来ました」
「何の用だ?」
「用はないけど来ちゃいました」。
お客さまである工事の監督たちは、一見、怖そうな人が多かったそうですが、一度殻を破れば、とことん親身になって付き合ってくれるそう。柏井さんも頻繁に顔を出すうちに距離が縮まり、たくさんのファンを獲得していきました。そして、2年目で所長に就任しました。
「カネコ・コーポレーションは、若い人の意見を取り入れ、変わることに対して躊躇をしないパワーのある会社」と柏井さん。キャリアに関係なく、会社を良くするために考え、上司と意見を交わし、提案が取り上げられ、会社が変わっていくというプラスの変化を目の当たりにすることで、面白さややりがいも十分に感じていました。
ある日、山梨県への異動を打診されます。「独身だったら二つ返事でオッケーと言っていたと思います」と柏井さん。ところが、既に結婚し子どもさんがいたため、考えてしまいました。頭のどこかでぼんやりと描いていた「群馬に帰る」ことが薄れていくような気もしていたといいます。
ハッとするきっかけを作った先輩の助言
山梨への打診があった直後、迎えたお正月。奥さんや子どもさんとともに伊勢崎に帰省。その時お父さまにこの話をしたところ、ちょうど柏井建設に欠員が出たこともあり、入社を勧められたのです。「この時にすっと腹をくくることができた」と柏井さん。4月からの入社が決まりました。
入社してビックリしたのは、社風の違い。真面目で堅実というイメージ建設業界は「昭和?」と思えるような慣行がまかり通っていたそう。若い社風のカネコ・コーポレーションで経験を積んだ柏井さんは如実にそれを感じました。
なんとか意見を吸い上げ、上層部に届けようとしても、そのような風習のない同社では通ることはありませんでした。そして、入社して2年ほど経った頃には「辞めたい」と思うほど追い詰められてしまうのです。当時、〇〇の会、と名が付く会に10近く所属していた柏井さん。そこで出会った人に「我慢も大事」と言われるのです。「一気に変えるのは難しい。まずは実力をつけて言える立場になること」と心が決まりました。これが、3つめの転機になりました。
助言通り、社内でやるべきことをコツコツと重ね、課長に就任。役職を得たことで、社内で意見を言いやすくなりました。会社が良い方向へ向かうよう部下たちの意見を取り入れ、実践が認められると、少しずつ会社が動き始めてきました。
今では事務方のトップを務め、忙しいお兄さまである社長に代わってできるところは決済を下し、業務をスムーズに進めています。
今、特に力を入れているのが求人。「人は財産。やる気のある人、モノづくりが好きな人に仲間になってほしい」と自らの足で大学や高校をまわり、合同企業ガイダンスに出席します。学生のときとは、逆の立場で企業席に座る柏井さん。お目当ての企業がなく、会場をさまよった経験があるから学生の気持ちが分かり、学生の心を引き付けるのかもしれませんね。
企業情報
柏井建設株式会社
◆住所/伊勢崎市日乃出町531-4
◆TEL/0270-25-2800
◆創業/1910(明治43)年
◆設立/1947(昭和22)年
◆営業時間/8:00~17:00
◆休日/土曜(第一のみ営業)、日曜、祝日
◆事業内容/総合建設業
柏井建設株式会社はこちら
今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ!
あのお店・会社のあの人を連載で御紹介します。
アイマップでは連載企画として、「応援します商売人!今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ」と称し地域の企業人・オーナーさん達をご紹介していきます。 また次の方は、ご紹介を頂くという経営者の輪方式をとらせて頂きます(笑) この企画を通じて、少しでも地域の皆さんに地元のお店や企業、そしてそこで働く人達を知って頂ければ と思っています。またそれが僅かでも売上増やビジネスチャンスに繋がれば幸です。
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