今回、お話を伺うのは、UNITE9で店長を務める林慶子さん。「いろいろなものになりたかった」という夢を叶え、同時並行でさまざまなことを手掛けています。潔くてカッコ(良くて)可愛い林さんの、現在に至るまでの道のりや、大切にしている思いなどを尋ねました。
林 慶子(はやし けいこ)さん 伊勢崎市出身 伊勢崎市在住
「可愛いものが大好き」ととろけそうな笑顔で話す林さん。小さいころから家族の一員には犬がいて、キャラクターやぬいぐるみなど可愛いものが大好きだそう。 小学生のころ、なりたかったものは、ケーキ屋さん、美容師さん、お医者さんなど、異なる業種のさまざまな職業。「いろいろなものになれると思っていました」という林さんに、学校の先生は「一つしかなれない」と話したといいます。 あふれるほどたくさんの夢を抱いていた林さんですが、いつしか心は鉛のように重く沈むようになっていました。原因は、小学校でのいじめ。辛い思いからどうしたら逃れられるだろう…。考え、行きついたのが「自分を強く見せること」でした。 「間違った方向に行っちゃったんですよ」と豪快に笑います。「間違った方向」とは「ひと言でいうなら『悪い子』」と林さん。友達の家に行ったきり、親との約束も守らない、自分をいじめた友達に仕返しをする。周りの友だちは一歩引き、きょうだいからも避けられるほど「怖い」存在になっていきました。 一方で「自分がしたことは自分で責任を取らなければならない」と学んだのもこのときでした。「悪いことは今しかできないこともわかっていた」とキッパリ。周りは気づいていなかったかもしれませんが、林さんは心の中でリミットを決めていたのです。 それでも、反抗期真っただ中だったころは、お父さまから手をあげられたことも。「止めに入ってくれるはず」と期待したお母さまも、あえて止めることはしなかったそう。「それほどひどかった。両親も手がつけられない、とアフリカに送られそうになったんですよ」と林さん。水をくむために半日かけて水を汲みに行く、今日食べるものにも困るギリギリの環境で、自分を振り返ってほしいとアフリカ行きをご両親は考えたのだそうです。 そんなことがあったものの普段、ご両親は林さんにしっかりと向き合ってくれました。帰ってくるかどうかわからない林さんの帰りを、ご飯を作って寝ずに待っていてくれたそう。そんな姿に心はチクリと痛みました。同時にご両親から向けられている愛情を、しっかりと感じ取っていました。 ささくれだった心の拠り所だったのは歌。小学校時代「歌が上手」とほめられ、クラスの代表に選ばれていた林さん。ほめられたうれしさから、音楽に興味を持つようになりました。中学時代は、バンドを組んでJUDY AND MARYの曲をコピーしていたそうです。これが、林さんの中に眠っていたたくさんの才能の種のひとつでした。 洋服が大好きだった林さんは、文化服装専門学校高等科へ進学。デザイン制作やミシンかけなどの講義もありましたが、当時そちらにはあまり興味がなかったといいます。アパレルの仕事についている今になって「もっと学んでおけばよかった」と後悔をにじませます。
20歳になると楽曲を作るようになりました。 22歳のとき、大好きだったおばあさまが亡くなります。おばあちゃん子で、中学時代はおばあさま宅から学校に通ったこともあった林さん。心が荒れていても、おばあさまの前では不思議と素直になれました。叱ることもとがめることもなく「こういうことをするとお父さんが悲しむよ」と、うまく林さんの心をほぐし、向かうべき道の灯りをともしてくれたおばあさま。 「自分に悲しいことは起きない」と信じて疑わなかった林さんですが「自分にも悲しいことが起こる。きちんとしなければ」と思うようになったそうです。 そして、都内へ行くことを決意。クラブで歌ううちに、いろいろな人に会い、著名なミュージシャンとも知り合いに。人から人へ、点はいくつもの線となり、林さんを取り囲むネットワークとなりました。 「チャンスは人が運んでくると思った」と林さん。そして「そのチャンスは、自分の実力以上のものを求められる」と気づいたと言います。 この時代のオーダーは短期間で10数曲作るとか、一日で歌詞を仕上げるとかというハードなもの。「人目を気にするタイプ」という林さんは「これが実力?」と思われるのが嫌で、できないとは言わず、必死になって全力で期待に応えていたそうです。そうしているうちにCDデビューも果たしました。 28歳で結婚。時を同じくして所属していたレーベルの社長が他界します。「糸が切れてしまった」林さんは、もう音楽はやめよう、と思いました。しかし、不思議なことに「やめよう」とすると、音楽での誘いが来るのです。その頃から自分が表に立つのではなく、支える側に目が向き始めました。他のアーティストのプロデュースをしたり、映画音楽の作詞をしたり、ボイトレの講師を始めたり、さまざまな形で音楽に携わるようになり、今でもこの活動は続いています。
結婚後、ご主人の仕事にも関わり始めます。ご主人は、2013年からご出身地である沼田で、シルクスクリーンプリントを中心にオリジナルのアパレル商品の制作やインポートブランドの雑貨などを販売する会社を設立。2021年には伊勢崎に支店を出店し、林さんは店長を務めています。 10代から70代と幅広い層のお客さまがいらっしゃる同店。オーダーで多いのは、オリジナルTシャツのプリントや刺繍です。「いきなり『ロゴを作って』という無茶な依頼もありますよ」と林さん。そんな時は、好きなブランドや音楽などを聴きながら好みを探り、その人らしいデザインに仕上げます。そして「喜んでもらえるのが何よりのやりがい」と瞳を輝かせます。 小学生のころ「いろいろなものになりたい、なれると思っていた」林さん。願いどおり、今はいくつもの仕事に携わっています。「信じて疑わない」純粋な思いが、夢を現実にしました。 そんな林さんが大切にしているのは「機嫌よく過ごすこと」。「自分の機嫌は自分でとらないと。それが毎日を楽しく過ごす事につながる」「今が楽しくなければ、未来は楽しくない」と刺さる言葉が次々と飛び出します。林さんと話しをしていると、自然に心が青空に、視界がひらけたような感覚になります。 「落ち込むこともありますよ」とニッコリ。そんなときは、無理に元気を出そうとしたり、背負っているものを取り外したりせず、自分の好きなことをしたり、美味しいものを食べに行ったり、自分の機嫌の良いことをするのだそう。すると、知らないうちに落ち込んだ原因が剥がれ落ちていくのだそうです。 「尊敬するのは主人」という林さん。「資金が潤沢にあるわけではないけれど、とにかくアイディアマン」だそう。片品でサウナを経営したりするなど、人とのつながりで新たなことを次々と実現。ご主人もまた「いろいろなこと」に果敢にチャレンジを続けています。 林さんが将来的にやってみたいと思うのは、動物たちのシェルターです。動物が大好きな林さんは、以前、世界遺産であるトルコのアヤソフィアを旅行したときに、特定の飼い主のいない犬や猫と人との共存に衝撃を受けました。 店の店先には、フードとお水と毛布が必ず用意してありました。特定の飼い主のいない犬や猫は耳にリングをしており、病気になったり、ケガをしたりした時は、病院に連れて行くと無料で治療が受けられるのです。 「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」と言ったガンジーの言葉が胸に染みます。 叶えたい夢のひとつが、シェルター。「小さな生き物たちに優しい世界を作れたら」。志を同じくする人が集まれば、夢は現実味を帯びてきます。形にこそなっていないものの、林さんが目指す優しい世界はもうでき始めているかもしれません。
FUN工房 UNITE9(伊勢崎店) ◆住所/ 伊勢崎市大手町6‐21 ◆電話/0270-75-2043 ◆開店/2021年4月 ◆営業/10:30〜18:30 ◆店休日/日曜 ◆事業内容/オリジナルのアパレル制作、デザイン、プリント、刺繍など (本店) ◆住所/沼田市下之町898―1 ◆創立/2013年
あのお店・会社のあの人を連載で御紹介します。
今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ!
アイマップでは連載企画として、「応援します商売人!今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ」と称し地域の企業人・オーナーさん達をご紹介していきます。 また次の方は、ご紹介を頂くという経営者の輪方式をとらせて頂きます(笑) この企画を通じて、少しでも地域の皆さんに地元のお店や企業、そしてそこで働く人達を知って頂ければ と思っています。またそれが僅かでも売上増やビジネスチャンスに繋がれば幸です。
※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際にお店等に行く方におかれましては、事前に電話等で確認してからお出かけ下さい。記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)