今回、お話を伺うのは損害保険3社、生命保険3社を扱う総合保険代理店Z-On(ゼットオン)株式会社の代表取締役、岸慈音さん。今の仕事に至るまでの経緯や「伊勢崎が可能性を広げてくれた」と語る理由、今後の展望ついて伺いました
岸 慈音(きし・じおん)さん 高崎市(旧榛名町)出身 伊勢崎市在住
岸さんのファーストネームは、慈音(じおん)。芸名? と思ってしまうような素敵なお名前ですが、本名なのだそうです。名付け親は、音楽教師だったお父様と国語の教師だったお母様。なるほど、納得です! 岸さんは、お父様の影響を受けて音楽が大好き。幼少期からピアノ、バイオリン、エレクトーンなどを習っていたそうですが、音楽から足が遠のいていた時期があったのだとか。サッカーに夢中になっていた小学3年生〜中学生のころです。キャプテン翼にあこがれて始め、中学時代は、県大会で8位に入賞するほどでした。しかし、サッカーは中学時代まで。 高崎経済大学附属高校に進学後、バンドを組んで再び音楽に没頭。メンバーには、今もプロのミュージシャンとして活躍している友人がいました。その友人たちに触発され、ミュージシャンへの道を考えるようになっていました。それには「基礎が大事」と考え、声楽を習い始めました。しかし、当時はご両親に夢を打ち明けることはなかったそうです。 放課後は、市内のスタジオを借りて練習を重ね、チケットを売ってライブを開催。同じ高崎出身だったBOØWYの曲を演奏していました。チケットを購入してくれるのは、ほとんどが友人。「よく買ってくれたし、よくライブを開きましたよね」と笑いながら振り返ります。印象に残っているのは、前橋テルサでのイベント。プロの音響スタッフがスピーカーやマイクなどの機材を調整してくれたステージは、臨場感が違います。「気持ちよくパフォーマンスを発揮することができました」と岸さん。お客様から届いた「良かった」の声は、大きな励みになりました。 卒業後は、都内にある東放学園の音響科へ。学外では、高校時代のバンドメンバーで東京の芸術大学へ進んだ友人やその仲間とバンドを結成しました。学校が終わる夕方4時〜翌朝2時までは宅配ピザ屋さんでアルバイト。夜中は24時間開いているスタジオでバンドの練習と、フル回転の日々を送っていました。 そんな中、次第に音楽の道に進むことに諦めを感じるようになったという岸さん。「プロとしてやっていくには主張が必要。それとセンス。自分には両方とも欠けていた、それに気づいてしまったんです」と話します。2年生になって就職活動が始まると、メジャーな音楽関係の会社や、舞台演出の会社を受験。残念なことに、ことごとく落ちてしまったのだそうです。 「あの頃は、あえて有名どころを受けに行きました。今、振り返ると自分自身を諦めさせたかったのかもしれません」と岸さん。入社試験を突破できなかったことで音楽への未練を断ち切り、卒業後は、故郷・高崎へ戻ることにしたのです。
実は岸さんには、専門学校時代にある新しい趣味が生まれていました。アルバイト先の先輩の影響で好きになったバイクです。手先が器用で、小さいころから「ものづくり」が好きだったという岸さん。乗るだけでは飽き足らず、エンジンを分解したり、直したりするようになっていました。 行きつけのバイク屋さんに「就職させてほしい」と願い出たとき、そんなに好きなら、と提案されたのが「内燃機」の会社です。内燃機とはエンジンのこと。岸さんは早速公衆電話のボックスに入ってタウンページをめくり、内燃機屋さんを探しました。記載されていた会社はわずか2社。そのうちの1社に電話をかけて面接にこぎつけ、見事採用を勝ち取りました。ゆるぎない熱意と迅速な行動が生んだ好結果でした。 翌日から、早速つなぎを着て仕事がスタート。「仕事は盗んで覚えろ」という師匠にくっついて回るようにして、エンジン、ブレーキ、重機などの修理の方法を身につけていきました。 受注先は、主に修理工場。プロでも歯が立たない「重症患者」が続々と同社に運び込まれてきました。仕事が終わると油まみれで、ツメの中は真っ黒。溶接作業をする日は鉄の粉を浴びて自分自身が鉄臭くなりました。しかし、そんな中で「修理のプロでもできない仕事を頼まれている」誇りが、数々の山を乗り越える原動力になりました。 思い出深いのは、蒸気機関車の修理。岸さん一人に任されて夜中まで作業をし、評価されたことで生まれた充実感は、忘れることができないそうです。その機関車D51は、今でも上越線を走り、多くの鉄道ファンや沿線の住民を喜ばせています。 「大好きだった」と振り返る仕事ですが、あることがきかっけとなり、保険代理店の仕事を始めるようになりました。25歳のときのことでした。
転職と共に生活は一転。服装はつなぎからパリッとしたスーツに、フィールドは工場内オンリーから社外へと変わりました。今までのように、お客様が自分から訪ねてくることはほぼ皆無。自ら開拓のために飛び込み営業も経験しました。100軒のドアを叩いて聞いてくれるのは、10軒ほど。最初のころは、断られると自分自身を否定されたようで心が落ち込み、公園のベンチに座って時間が過ぎるのを待ったこともありました。「今思えばうつ状態だったのかも」と振り返ります。 それでも少しずつ動き始めると、周りも変わってきました。 「最初にお客様になってくださった方と、最初に断られた人は今も覚えていて、両方ともお付き合いがあるんです」と岸さん。最初のお客様とのお付き合いが続いているは分かるとしても、断られた方とも? この鍵を握るのが、ひと言でいえば岸さんの人柄。誠実さです。断られはしたものの、その方は『今回は結構です』と自分から連絡をしてきてくださったのだとか。そのときに「この人、絶対いい人だ」と確信した岸さん。契約云々に関係なく、時折連絡をする間柄になっていました。そして、今度は逆にお客様の方から「この人なら絶対」と信頼を寄せられ、契約を交わすようになりました。 こうして2018年に独立。きっかけは「そろそろ(独立しても)やっていけるかも」と思ったこと。「自分の力じゃないですよ、伊勢崎の人たちのおかげです」とにこやかにほほ笑みます。高崎出身の岸さんにとって、伊勢崎はアウェイ。ところが、伊勢崎の人たちは両手を広げて岸さんを迎えてくれました。ホームもアウェイも関係なく、ウェルカムな明るい雰囲気が岸さんの可能性を広げてくれたのです。 保険を扱う人や会社がたくさんある中で、Z-Onはお客様の信頼を得て確実に成長を続けています。その要因を尋ねると「信頼、されているかな」とはにかむ岸さん。「されているとするならば『目の前の人を幸せにする』という経営理念を実行しているからかな」と答えます。 現に岸さんは、保険以外のいろいろな相談が持ちかけられるそうです。「うんうん」と聞き、解決の糸口を見つけるうちに、岸さん自身の経験が広がり、知識が深まってきます。小さな信用の積み重ねが大きな信頼となって、岸さんを成長させると同時に、お客様の幸せも実現します。 今ではバイクを含むレンタカー8台を所有。軽自動車から高級外車までのラインナップは、乗りなれた車を希望する人から、ちょっとの間、自分には買えないけれど、憧れの車に乗ってみたいという夢をくすぐります。 慈音――。ご両親からの最初のプレゼントである名のごとく「慈しんで人の話に耳を傾け、困ったときに最初に思い出してもらえる存在でありたい」という岸さん。「一生付き合えることが魅力」のこの仕事を軸に、不随した事業の展開も考えたい」と夢を語ってくださいました。
Z-On株式会社 ◆住所/伊勢崎市宮子町3516-5 ◆TEL/0270-75-2663 ◆設立/2018年 ◆営業時間/9:00〜18:00 ◆店休日/土、日、祝、夏季、年末年始 ◆業務内容/保険代理業、レンタカー 取材日 2021年5 月 Z-On株式会社 は、こちら
あのお店・会社のあの人を連載で御紹介します。
今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ!
アイマップでは連載企画として、「応援します商売人!今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ」と称し地域の企業人・オーナーさん達をご紹介していきます。 また次の方は、ご紹介を頂くという経営者の輪方式をとらせて頂きます(笑) この企画を通じて、少しでも地域の皆さんに地元のお店や企業、そしてそこで働く人達を知って頂ければ と思っています。またそれが僅かでも売上増やビジネスチャンスに繋がれば幸です。
※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際にお店等に行く方におかれましては、事前に電話等で確認してからお出かけ下さい。記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)