今回の経営者の輪でご紹介するのは、被災地支援を行っている経営者、剛工務店の生形剛さんです。
技能五輪と技能グランプリで共に全国2位という素晴らしい成績の持ち主である生形さんは、同コーナー2回目となる経営者。今回は、お仕事の話からは離れ、仲間と共に続けている東日本大震災被災地への支援活動についてのお話を伺いました。 <プロフィール>
生形 剛(うぶかた ごう)さん
昭和52年6月29日生まれ
伊勢崎市平和町出身
伊勢崎市在住
被災地の方の役に立ちたい。
あの日以来、多くの方がそう思い、行動をしてきました。
1年7カ月経った今、被災地に関する報道は少なくなりましたが、まだまだ多くの支援を必要としています。
そんな中、被災地の様子を自分たちの目で確認し、被災地の方々の声を聞きながら、仲間と共に支援を続けているのが剛工務店の生形さんです。
「この活動に共感して、群馬県の100人近い方々が継続的に物資を提供下さり、この方々のご協力があって続けられた」。開口一番、何回にも及ぶ活動を支えてくれた人たちへの感謝を口にします。
生形さんは、東京に住む仲間たちと今年9月16日までに10数回にも上る支援活動を行ってきました。きっかけは、岩手県大船渡市で知人家族が被災したこと。
大変な思いをしている知人の力になりたい、友人知人に声をかけたところ、2トン車いっぱいの支援物資が集まりました。みんなの気持ちを乗せたトラックが現地入りしたのは、震災から17日経った3月28日。通常ならば、7〜8時間で行けるところが、地震の被害による道路通行止めの為、12時間以上かかったといいます。
途中、目にしたのは、寸断された道路、がれきの山、むき出しになった住宅の基礎、その上に乗る大型船など目を疑う風景でした。報道を見て知っていたとはいえ「地獄絵図を見るようだった」と当時を振り返ります。トラックの中の誰もが口を開くことなく、ただただ泣いたそうです。
生形さんたちが支援物資を届けたのは、知人のいる大船渡市にある赤崎地区。しかし、この地区に住む知人家族は、最初からすんなりと物資を受け入れたわけではありませんでした。
それは、いままでこんな被害にあったことのない人達の為「1週間もすれば、元通りになる」と思っていたのです。ライフラインも途絶え、新聞が配達されることもなかったため、情報が一切入らず、今、自分たちの住む東北がどれほど酷い状況になっているのか、知人家族は知らなかったのです。
「予想できたこと」生形さんはそう言います。実は生形さんたちは、勢いだけで飛び出したわけではありません。仲間たちと、事前に物事を予測し、とことん被災地の方々の立場になり、ときにはケンカになるほど真剣に話し合いました。シミュレーションを重ね、ベストな答えが出るまで考え、活動をしました。その中で情報が行き届いていなければ、今回のような反応があってもおかしくない、と事前に考えていたそうです。知人家族には、今の東北の状況・関東の状況をじっくり説明して物資を受け取ってもらいました。
「1回じゃだめだな」。現地に足を運んだ仲間は、皆、同じことを思いながら被災地を後にしました。
被災地訪問2回目となる4月11日には、同じく2トントラックと乗用車で塩釜市に物資を輸送。
3回目は、再び赤崎地区を訪ねました。前回と違っていたのは、仮設住宅ができたこと。喜ばしいことではありますが、問題もありました。
仮設住宅の入居者は、自立したとみなされ、使用する電気ガス代などは自己負担。支援物資の配給もストップしてしまうのだそうです。
安定的な支援の必要性を感じ、1世帯当たり毎月10キロのお米の支援を1年間、続けようと決めたのもこのときでした。 不安を抱えていた人たちは、生形さんたちの支援をとても喜びました。トラックいっぱいに積んだ物資を下ろして種類ごとに並べます。
生形さんたちは「送る」のではなく「届ける」ことを選んだのは、各避難所に届く支援物資が不平等なために配布することが出来ず避難者1人1人に行き届かない状況を知っていたからです。 そこで生形さんたちは受け取り方の平等性を考えました。
「自分に必要な物を1人10品まで選べるようにする」 なぜそう決めたか。同じ物が全世帯になくても、自分が必要な物を選んでもらうことで「不平等の平等」になるようにした。つまり、1世帯に10キロのお米は1人家族でも5人家族でも変わらない。家族が多ければお米一人当たりの量は少ないが、物資は5人家族なら50品まで選ぶことができる。そうすることで、どの方にとっても平等になるのではないかと考えました。
しかし、生活の苦しさから、「1人10品まで」のルールを違反する人がいました。同じ仮設に住んでいるからと、みんな見て見ぬふりをしていましたが、ルールを守らないと物資が全員にいき渡らなくなります。「俺たちが悪く言われるのはいい」あえて生形さんはルールを違反した人にきつく注意をしました。生形さんたちが声を掛けて注意し、悪者になることで、住民同士が嫌な思いをしなくて済むようにしたのです。
「仮設住宅に住みはじめた人たちの表情は暗く、住民同士がバラバラな感じがした」と生形さんは話します。住民同士が良いコミュニティを作る必要性を感じた生形さんたち。
「また来月も頑張って集めて来ますので、次は何が必要か、みんなで話し合って教えてください。一緒に頑張りましょう!」と課題を残して帰りました。そうすることにより談話室で話し合いを行うようになりました。
嬉しいことに訪れるたびに仮設住宅の方の会話が多くなり、笑顔も見え始め、住民同士のまとまりも感じられるようになりました。
それから今年9月に物資支援活動を終えるまで、支援物資もいくらか足りてきたのか洋服をあれこれ選べるようになりました。仮設の仲間同士で洋服を身に当てては「あんたこれ似合うじゃない」「こっちもいいよ」など、朗らかな笑いもあがるようになりました。
「(生形さんたちが)来る前の日はうれしくて眠れない」という声も聞かれるようになりました。みんな少しずつ「心」を取り戻しつつあるように、生形さんたちには感じられました。
知人を介して生形さんたちの活動を知った気仙沼市唐桑地区の代表者から支援のオファーが入ったのは、9月16日に赤崎地区への最終支援を控えた8月末。 「支援の熱よ、いつまでも冷めないで!」被災地の方々の願いだそうです。 これからやってくる寒い冬に備え、衣料品、食料品など必要なものもたくさんあります。 「今、自分にできること」相手の立場になり考え行動・形にする! 是非、ご協力ください!
老夫婦が多い99世帯が住むこの地区は、もう1年以上支援が入らず、とても困っているというのです。そうお話して頂いた代表者の方は「今はもうボロボロですが震災後に頂いたこのTシャツをまた来年の夏も着るしかありません」と言っていたそうです。
「やる」と決めるだけなら簡単です。しかし、やる以上、持って行く物資の確保が必要です。今までに集まった物資支援は、多くの人の「善意」そのもの。今までの支援を終えた後で、新たに物資を集めることができるのか、できないか? やれるか、やらないか?
やると決めれば、中途半端なことはできません。仲間と真剣な議論が交わされました。
慎重に検討を重ねた結果、実施を決定。10月から6回に渡って物資支援を行うことになりました。
被災地や被災者に関する情報は、めっきり少なくなってきました。けれども、今なお、支援を求めている人はたくさんいます。 生形さんから被災地復興へ思いのある方へお願い!
「一度きりではなく、継続的な支援を」生形さんは繰り返し話します。
第一回の物資〆切は25日の15時。詳しくは、imapのサイトをごらんください。
みなさまからの支援を心よりお待ちしています。
みなさまのあたたかな思いは、生形さんとお仲間がしっかりと現地に届けてくれます
頑張ろう!東北!
剛工務店 ※被災地支援については、こちらをごらんください。 取材日 平成24年10月
住所/伊勢崎市下植木町545−3
TEL/0270-20−5255
設立/2007年
業務内容/一般住宅(新築・リフォーム)、店舗、数寄屋風、神社・仏閣など
定休日/日曜
あのお店・会社のあの人を連載で御紹介します。
今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ!
アイマップでは連載企画として、「応援します商売人!今こそフロンティアスピリッツを発揮せよ」と称し地域の企業人・オーナーさん達をご紹介していきます。 また次の方は、ご紹介を頂くという経営者の輪方式をとらせて頂きます(笑) この企画を通じて、少しでも地域の皆さんに地元のお店や企業、そしてそこで働く人達を知って頂ければ と思っています。またそれが僅かでも売上増やビジネスチャンスに繋がれば幸です。
※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際にお店等に行く方におかれましては、事前に電話等で確認してからお出かけ下さい。記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)