昭和町のメガネのイタガキ文化ホール伊勢崎(伊勢崎市文化会館)から北方向、殖蓮中学校からちょっと文化会館通りを西に向かった通り沿いにあるバラエティに富んだ植栽に囲まれた公園が、今回ご紹介する『玉椿公園』。 周辺には、線路を挟んで北に殖蓮小学校、殖蓮公民館、北西に四ツ葉学園中等教育学校などがあり、国指定史跡「上野国佐位郡正倉跡」も近くになります。 いせさきしコミュニティバス「あおぞら」の?伊勢崎駅北巡回バス『殖蓮小南バス停』から徒歩3分、文化会館までも徒歩で5分の距離にありますが、派手な大きな遊具もなく、昔からある近隣の方の憩いの広場といった雰囲気で、文化会館通りをよく通る人でも、もしかするとそこに公園があることに気付かない方もいらっしゃるかもしれませんね。
公園内の北側には「玉椿公園 鉄砲橋の由来」と書かれた看板のようなものがあり、その傍らには切り出されたような石材が3つ並べられています。 「玉椿公園 鉄砲橋の由来」と書かれた右側には、「鉄砲橋の由来」と書かれつつ、鉄砲橋の由来と共にしれっと玉椿公園の名前の由来が記され、背面には鉄砲橋の伝記的なお話が記されています。 【鉄砲橋の由来】 【伝記】 八右衛門はこの金を社会奉仕に役立たせたいと北裏用水の土橋を石橋に架け替えたのです。桐生街道を利用する人は大 裏側に回って、何か書いてあっただけでなく、突如情報量が爆上がりしたのにも驚きましたが(笑)、伝記の内容のなかなかの物騒さと良い展開の結末は、日本昔話や落語にあっても不思議ではないような感じもあります。 橋が架け替えられた詳細な時期はわかりませんが、現在の桐生街道の開通が昭和4年ということで、昭和初期頃なのかな…?と思われますが、その100年前となると、鉄砲橋が架けられたのは徳川慶喜が将軍だった江戸時代の頃ということになるでしょうか。 この付近が昔は貉塚・玉椿という地名であったと書かれていますが、貉塚という地名は、アナグマやタヌキが住みついている小山だけでなく、「悪さをしたタヌキを葬った場所」と言い伝えられている地域もあるほど、そして玉椿は、椿の美称であり、長寿のおめでたい木として古くから歌に詠まれる縁起の良いもの…名前を付けるのであればやはり、「玉椿」 の方を選びたいですよね(^^)
玉椿公園の名称は、昔この付近が貉塚・玉椿という地名だった所から好字の玉椿を名称としました。
この石橋は公園の西南方向七曲り道を横切る北裏用水の橋でした。(現在の昭和町)
道は、現在の桐生県道が昭和四年に開通するまでは桐生街道として人通りが多い、重要な幹道でした。
「昔、下植木村の久右衛門さんと八右衛門さんは前と後の家でした。久右衛門の家は金持ちなので、泥棒用心のために毎晩鉄砲を打つので近所は迷惑していました。
ある晩、流れ弾が八右衛門の家の大黒柱に当り、大きな音をたてたので、命にかかわる問題だと、久右衛門の家に抗議を申し入れ、この事を名主に届けると掛け合った結果、久右衛門が詫び金を払う事になりました。
変喜んで鉄砲橋と呼んで以来、百年間余り利用されて来ました。」
時が、自動車時代に移り新しく架け替えられる事になりました、不要になった石橋を保管していた福島さんの好意で公園
に歴史遺産の記念物として保護し、伝えることにしました。
平成十五年十一月一日 殖蓮史談会
『玉椿公園』は駐車場のない昔ながらのシンプルで小さな公園ですが、こうして“地域の歴史の刻まれたもの”が大切に残されているのを誰もが気軽に見ることができるのは、地域の方の地元愛があってこそ。 より多くの方にまちなかのちょっとした公園にもこうした歴史あるものが残されているの知ってもらい、地域の歴史などに関心をもってもらえたら素敵ですね☆
『玉椿公園』 伊勢崎市昭和町(伊勢崎市立殖蓮中学校近く) 『いきさき、いせさき』記事は随時追加となりますので、これからも引き続きご贔屓のほど、よろしくお願いいたします! 取材:2023年11月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、普段あまり気に留めないようなニッチなポイントからも伊勢崎のまちの魅力を研究し、『いきさき、いせさき』として発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
伊勢崎まちなか探訪研究室『いきさき、いせさき』