今回のいせさきふらっと観光は、玉村町福島の「福島橋」近くにある『福島水門跡・福島船橋道跡』をご紹介したいと思います♪ 古くから利根川に架かり、長きにわたり交通の要所となってきた「福島橋」。 『福島水門跡・福島船橋道跡』はその福島橋南詰から西に約220m、サイクリングロード脇の緩やかな坂の下に残されています。
『福島水門跡・福島船橋道跡』は、1901(明治34)年に造られた福島水門の一部と石碑、そして、1891(明治24)年に建てられた福島渡船道と刻まれた石碑や庚申塔などがあり、福島橋が開通する1926(大正15)年以前には、舟を並べた「舟橋」や「福島の渡し」と呼ばれる渡し船などが利根川の対岸との行き来の主な手段で、『福島船橋道』の石碑は、道標としてこの場所に交通の要所があったことを伝えています。 そしてこちらに一緒に残されている『福島水門跡』は、1898(明治31)年に利根川の堤防の決壊で発生した洪水で大きな被害が出てしまったことで、人々の命と暮らしを守り、自然と共存していけるよう造られた水門の跡です。 この水門は、現在よく見かけるような河川や用水路にある鉄扉の水門ではなく、レンガを階段状に積んだ構造物に設けられた2本の縦溝に横木をはめ込んで水の流れを防ぐ…というもので、現在見られる部分の下にはまだ深く埋まっている部分もあるのだとか。
『福島水門』は縦方向に目地が通らず丈夫で強度の高いイギリス積みと呼ばれる積み方で築造されており、そのレンガの一部には“焼過(やきすぎ)レンガ”と呼ばれる通常の赤レンガよりも強度の高いものも使われているそうですが、“焼過レンガ”とは、通常のレンガよりも良質な粘土を高温で焼くことで名前のとおりの焼き過ぎたような赤褐色となり、密度が高くなることで強度が高く吸水性も低くなるそうで、そうした素材を選んで丈夫に造られた水門が今でもこうして残されていることは、当時の住民の方々からの“災害に備えることへの大切さ”のメッセージとなっているように感じます。 現在の利根川は、サイクリングロードを兼ねた高い堤防や上流に築かれたダムなどで守られ、頻繁に氾濫することはありませんが、時にはこうした災害の記憶を伝える記録や場所から、防災への意識や教訓を学んでみることも大切かもしれませんね。 『福島水門跡・福島船橋道跡』 佐波郡玉村町福島(福島橋近く) 取材:2023年1月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室