今回のいせさきふらっと観光は、伊勢崎市のお隣・玉村町下茂木にある『梨ノ木山古墳』をご紹介したいと思います♪ 玉村町の東南エリア、玉村ゴルフ場クラブハウス付近の田畑の中に見える木々が生い茂る小山が『梨ノ木山古墳』。 高さも面積も特別大きくはありませんが、地元では桜の見どころとしてもおなじみの古墳で、玉村ゴルフ場の駐車場からも見えるため、「おおよその位置しかわからずに出かけてもほぼ確実に辿り着ける」わかりやすい場所に位置しています。 直線距離で約700mの場所には『軍配山古墳』、約300mの場所には『殿台山(でんでやま)古墳』、他にも形は残っていないものの、調べてみるとこの辺りは古墳が存在していた場所も比較的多い地域です。
古墳に設置された説明板にもスペックが記されていますが、玉村町歴史資料館などで配布されている平成25年発行の「玉村町の古墳」パンフレットにわかりやすくまとめられた情報によると、築造時期は古墳時代中期の5世紀後半、前方後円墳または帆立貝式の形状(残存しているのは二段築造の円墳)で、大きさは全長約50m・後円部の直径約38m・高さ約7m、玉村町に現存している古墳の中では一番の大きさです。 1966(S41)年・1967(S42)年・1969(S44)年に発掘が行われ、内堀・外堀の二重の堀がめぐらされ、石室は竪穴式と推定され、主な出土品は滑石製模造品、円筒埴輪破片などで、『梨ノ木山古墳』は町指定史跡にもなっています。 玉村町には200基を数える古墳があったとされますが、古くから豊かな水資源に恵まれた地形を活かし、水田耕作の為の用水路を築くなどの土地開発が行われたことにより人々の生活基盤が整っていっただけでなく、東国文化の発展で交通の要所となり、ヤマト王権と強く結ばれたことで様々な最先端の大陸からの技術・文化が伝来し、立派な古墳や副葬品を造る技術や資源、土地や経済基盤などの条件も整っていたことで、この地域にも多くの古墳が築造されたものと思われます。
この『梨ノ木山古墳』に隣接する道は幅は広くないですが、車通りも田畑の中にしては多く、多くの方が当たり前に目にしている“日常の風景”になっている、そんな古墳ですが、いつでも気軽に古墳を見に行くことができるのは「古墳大国ぐんま」ならではといった感じで、ちょっと誇らしく、素敵なことではないでしょうか(^^) 『梨ノ木山古墳』から車で7〜8分程度の場所にある「玉村町歴史資料館」では、玉村町の古墳や文化財など玉村町の歴史に関する様々な資料が展示・配布されているので、古墳と合わせてお出掛けしてみるのもオススメですよ♪ 『梨ノ木山古墳』 佐波郡玉村町下茂木 取材:2022年11月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室