今回のいせさきふらっと観光は、前橋市との境に近い赤堀今井町にある伊勢崎市指定史跡『毒島城跡』をご紹介したいと思います♪ 『毒島城跡』は、赤堀茶臼山古墳や前橋市の大室古墳群などの古墳が多く集まるエリアに周囲を田んぼに囲まれるようにあり、遠くから見ると木々の生い茂った小山のように見えるため、一見するとそれが城跡なのか古墳なのか、ちょっとわかりにくい雰囲気です…。
『毒島城跡』周辺には狭い農道のような道があり、東西南北全体をぐるっと見ることができ、『毒島城跡』南側には伊勢崎市教育委員会の説明板も設置されています。 その説明板によると… 毒島城跡は、多田山丘陵東側に位置し、周囲は水田に囲まれ、平面形は東西約150mの楕円形を呈している。古くは湿地に囲まれた島であったとされている。毒島城跡の構造に関しては、中心の本郭とそれを囲む腰曲輪からなっており、虎口は西南面中央1箇所のみであり、攻撃性は低く、出城としての機能を有していたと推測される。
また、毒島城には次のような伝説がある。
三浦河内守謙庭が毒島城を攻めた時、この沼には大蛇が住んでおり、なかなか攻められずにいた。
そこで三浦河内守謙庭は7つの石臼で毒を作り沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれずに西に脱出し、城はたちまち落ちたという。
毒島城は、赤城南麓の戦国時代を解明する重要な文化財である。 (伊勢崎市教育委員会)
とのことで、東西が約150mの楕円形、正確な数値はわかりませんが、地図上でざっくりと計測すると南北は100mくらい…といった感じでしょうか。
説明板の設置されている場所から城跡の上に登れる道があり、そこを登ってみましたが、下から見てイメージしていたより角度があるのに加え、道が急なS字カーブ状になっているので、距離はあまりないものの、上に登り切った時の空が開けた様子には、簡単に攻め入られてはいけないお城の跡っぽさがあるように感じます。
毒島城は湿地の中の島にあったとされますが、言い伝えによると、島を囲むのは沼のような場所で、その湿地の名残りがこの『毒島城跡』の周りの田んぼにあたり、この辺りでは地下水が湧いていたという話もあることから、扇状地のような場所で、古くから豊かな水資源に恵まれていた地域だったのかもしれませんね。 そして、その地形以上に気になるのが説明板に記されていた「大蛇と7つの石臼伝説」! こんなRPGゲームや漫画の世界のようなすごい伝説があるのに、公になってはいけない大人の事情でもあるのではないか!?と勘ぐってしまいそうな、噂にもほとんど聞かないお話ですが(笑)、毒島城に関する文献などの記録はないものの、この大蛇を退治するために盛ったとされる毒は有毒植物として知られる「トリカブト」といわれ、その際に使ったとされる「石臼」は「毒臼供養」を経て赤堀歴史民俗資料館に収蔵されているのだそう。 『毒島城跡』へはお車やバイク、自転車などがアクセスしやすいですが、お車の場合は周辺道路が大変狭いので、お出掛けの際にはご注意ください。 『毒島城跡』の近くには『赤堀茶臼山古墳』、前橋市の『大室古墳群』もあるので、併せてお出掛けして、学びを深めてみるのもいいかもしれませんね(^^)
『毒島城跡』 伊勢崎市赤堀今井町二丁目815番地外 取材:2022年8月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室