今回のいせさきふらっと観光は、境伊与久の伊与久沼の中央を東西に横切る道路のど真ん中にある『伊与久沼の弥八ヤナギ』をご紹介したいと思います。 『伊与久沼の弥八ヤナギ』のある伊与久沼は、その昔、伊勢崎藩により湿原に水を引いて造られた灌漑用の沼であったと伝えられていますが、水争いが絶えず、新井弥八郎という住民が私財を投じ、農民への指導や沼の改修・拡張工事を行って農民を救 済、安政4(1857)年に農民たちがその頌徳の為に伊与久沼のほとりに柳を植えた…というのが、『伊与久沼の弥八ヤナギ』の成り立ちです。 正直なところ、「なんで道路のど真ん中に木が?道路をどちらかに寄せるとか、もうちょいなんとかならなかったのか?」と疑問しか浮かばないポジションに鎮座しているのが、このスポットの凄さで…(笑) この辺りも昔は田畑広がるのどかな地域で、もちろん今のような大きな道路はなかったわけですが、時代の流れと共に交通事情も変化し、伊勢崎佐波第一工業団地が造成された際にも伊与久沼の周辺でも道路の整備が行われましたが、『弥八ヤナギ』は切り倒されることなく残され、その両側に道路が通る形となったのです。
いつ頃からこのような形になったのか、国土地理院の古い地図データを調べてみましたが、1961年〜1969年のデータでは、現在の雷電神社付近から伊与久沼、東洋アルミニウム(株)群馬製造所敷地内を横切り、カンダ物流(株)伊勢崎中央営業所脇の道まで、南東から北西にほぼまっすぐに延びる道があり、当時はその道の南側に柳の木があることが確認できました。 その次に掲載されていた1974年〜1978年のデータでは、1961年〜1969年のデータで伊与久沼を横切る道の雰囲気を残しつつ、道路が柳の木を挟んで東西に延びる現在の道に近い形で開通しており、現在の東洋アルミニウム(株)群馬製造所の敷地となっている場所を斜めに横切っている道はまだ存在している状態でした。
1970年〜1973年のデータはありませんでしたが、おそらくその頃に工事が行われ、現在のような道路になったのかもしれませんね。 住民たちの想いの込められた『弥八ヤナギ』はこれからも末永く、伊与久沼といせさきの皆さんを見守り続けていくことでしょう。 『弥八ヤナギ』周辺の道は狭くはありませんが、カーブもあって若干見通しが悪くなっているので、ご通行の際はどうぞご安全に!
『伊与久沼の弥八ヤナギ』 伊勢崎市境伊与久 伊与久沼西 取材:2022年1月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室