今回のいせさきふらっと観光は、伊勢崎市と深谷市を結ぶ上武大橋の深谷市側、深谷市中瀬に設置された『旧上武大橋モニュメント』をご紹介したいと思います。 上武大橋の名前は「上州(上野国)」と「武州(武蔵国)」を繋ぐ橋であることに由来しますが、このあたりは江戸からの大型船が遡行可能な終着点であることから、古くから利根川を利用した水運が盛んで、平塚と中瀬との間も橋が架けられる以前から渡船場で繋がり、往来の拠点となっていました。 上武大橋の新橋が開通したのは2018(平成30)年3月、それ以前に使われていた旧橋は、1934(昭和9)年に開通した両側ゲルバー鋼鈑桁+中央10径間ワーレントラスの水色の橋でしたが、2002年〜2017年に太平洋戦争での米軍機の機銃掃射の弾痕が7か所確認されたことなどから、「上武大橋を語り継ぐ会」により保存・設置が働きかけられ、新橋開通後も旧橋の一部がモニュメントとして残されることとなりました。 モニュメントが設置されているのは伊勢崎から上武大橋を渡り終えてすぐの左側の歩道脇で、駐車スペースや休憩スペースなどはなく、親柱と綺麗な水色にお色直しされた旧橋の一部と説明板があるのみ、見学される際には、モニュメントの足元に段差があるので少々注意が必要(^^;
モニュメントに近づいて見ると、機銃掃射の弾痕がしっかりと確認できる部分が残されており、伊勢崎でも激しい空襲があったことや戦争の恐ろしさを、令和のこの時代に、この先の未来へと伝えてくれています。 解体された旧上武大橋のモニュメント以外のトラス桁の一部は、優しい雰囲気の桜色に塗り替えられ、所沢市の日比田調整池の管理橋として新たな役割を担っており、現地に設置された看板には、その橋が上武大橋であったこと、機銃掃射の弾痕が残されていることが記されているとのこと。 今の時代はシンプルに暮らすことや必要ないものは持たない生活が注目されていますが、将来の為に丁寧に保存し、語り継いでいく必要のあるものもたくさんあることも、いつでも忘れずにいたいものですね。 『旧上武大橋モニュメント』 深谷市中瀬町 上武大橋南詰 取材:2021年7月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室