今回のいせさきふらっと観光は、伊勢崎消防署北分署から東に約500m、上植木本町の正観寺門前で義経伝説とともに大切にされている『義経馬殿塔』をご紹介したいと思います。 伊勢崎市内にはいくつもの義経にまつわる言い伝えがありますが、こちらの『義経馬殿塔』もその一つで、義経の身代わりとなって粕川の洪水に流されて命を失ってしまった愛馬を葬り、供養するために建てたものと言い伝えられています。
塔の脇に設置された説明板は不鮮明で正しく読み取ることができませんが、 正安二年源義経公あづま道を通り 奥州へ向かう途上赤堀から上植木の 境界の粕川をわたるとき折からの洪水にて 義経の乗馬と案内役の山伏智海房(坊)共に 激流に呑まれ押し流されて果てた 義経の身代わりと厚く葬り塚築き塔を立てた この塔書上の馬殿林から江戸初期正観寺 中興の伝中法●正観寺に運んだと 伝えられる。 と記されており、元は書上(地区)にあった供養塔を江戸時代初期にこの正観寺に場所を移したようです。
書上というと、伊勢崎インター北側の書上浄水場付近にあたりますが、このエリアには義経が愛馬を失った粕川だけでなく、義経一行が奥州へ下る際に通ったとされる「あずま道(旧東山道)」があり、三和町の『酒盛地蔵』、『掛矢清水』、五目牛町の『牛石』といった義経伝説が、いせさき市内で最も多く伝わるエリア。 説明板では、義経があずま道を通ったのは正安2年(1300年)となっていますが、義経一行が奥州へ下り始め、伊勢崎あたりを通ったのは文治3年(1187年)頃とみられ、言い伝えに大きなズレがあるのが気になるところではありますが(笑)、現代と違って誰もが読み書きが出来る時代ではなく、正確な記録を残すことが難しかったり、記録も口伝によるものだったり…などと考えると、そこはやはり「伝説」、どこかで「正安2年」となって伝わってしまったのかもしれませんね(^^; このエリアの義経伝説の地は、『義経馬殿塔』が少々離れているのみで徒歩でも回れる距離にあり、気軽にコンプリートできるのが魅力のひとつ(^^) 歴史に興味があってもなくても、こうしたスポットを巡ってみるだけでも、いせさきの新たな魅力が発見できるかもしれませんね♪ 『義経馬殿塔』 伊勢崎市上植木本町(正観寺門前) 取材:2019年9月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室