今回のいせさきふらっと観光は、伊勢崎市のお隣・佐波郡玉村町角渕にある『軍配山古墳』をご紹介したいと思います♪ 玉村町の東南エリア、旧例幣使街道と神流川に挟まれ、田畑広がるのどかな場所の中に「おおよその位置しかわからずに出かけてもほぼ確実に辿り着ける」くらいに存在感のある小山が、今回ご紹介する『軍配山古墳』。 『軍配山古墳』は『御幣山古墳』とも呼ばれますが、『軍配山』とは、滝川一益(上野・信濃の一部を統治していた織田家臣のひとりで、大きな功績を残してきたものの、上野に赴いてすぐに本能寺の変でボスを失った上に、その後のあれこれで織田家後継者を決める清州会議に参加できなかった…という少々残念な伝説の残る武将)が新町の神流川あたりで行われた「神流川合戦」でこの古墳に陣を設け、軍配をふるっていたことから由来しているのだとか。
墳丘の上に立ってみると、現在では古墳をちょっと離れると道路や住宅、大きな倉庫や工場などが建っているものの、安土桃山時代にはきっとこの場所からは遠くまで見渡すことができたのだろうなぁ〜といった見晴らし。 近くにある「梨ノ木山古墳」と並び、この地の有力者の墳墓と推定されている円墳ですが、古墳時代前期の4世紀後半頃に築造された県内でも初期に造られた古墳なのだそう。 『軍配山古墳』の出土品には、中国渡来の白銅製内行花文鏡2面をはじめ、硬玉(ヒスイ)や琥珀の勾玉…などなど、国立博物館に保存されるほどレベルの高いもので、被葬者はかなりの豪族であったことが推定されるとのことですが、こちらに限らず、群馬にはこうした素晴らしい歴史を持つ史跡が日常風景の一部として存在して、いつでも気軽に見に行くことができるというのは、とても素敵なことだなと感じます(^^)
『軍配山古墳』から車で7〜8分程度の所には、お子さまにも親しみやすく、玉村町の古墳に関する資料も多く展示されている「玉村町歴史資料館」もあるので、古墳と合わせてお出かけしてみるのもオススメですよ♪ 『軍配山古墳』 佐波郡玉村町角渕 取材:2018年9月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室