今回のいせさきふらっと観光は、東小保方町にある伊勢崎市指定重要文化財『頼光塚(らいこうづか)』をご紹介したいと思います。 東小保方町の一画、不思議な伝承とは無縁そうな、畑や住宅地が広がる特別でもない風景の中に、身を隠すわけでもなく、堂々とするわけでもなく存在している『頼光塚』。 こちらを訪れてまず驚くのが、大きくくっきりと、斜めに割れ目の入った石塔! 案内板によると、この『頼光塚』には、 昔、この塚の脇の道に、馬に乗った武者が毎晩現れ、通行人をおびやかしていた。ある晩、松島利太夫というものがここへ来て武者が現れるのを待った。しばらくすると武者が現れたため、利太夫は太刀をひらめかせて切りかかり、武者を切り捨てた。それきり音もなく武者の姿は消えていた。翌朝になると、そこには一つの斬られた石だけが残っていた… という伝承が残されており、切り捨てられた武者そのもののような見た目とも相まって、なんとも言えない不思議な雰囲気があります。
『頼光塚』は鎌倉時代後期から南北朝時代頃に造られたと推定されているそうですが、使用されている石材はみどり市笠懸町西鹿田の天神山付近で採掘された「馬見岡凝灰岩(まみのおかぎょうかいがん)」、柔らかく加工がしやすいという特長を持ち、古墳の石室や石棺などにも使われるなど古くから採掘されており、新田義貞でおなじみの新田一族が前橋や伊勢崎の広瀬川東岸から足利地域にかけて供給したことで軍事力強化の財源となっていた…ともいわれる石材です。 この『頼光塚』の名前の由来や松島利太夫については調べてみてもよくわからなかったのですが、そこで記事を終わらせてしまうのももったいないので(笑)、『頼光塚』とよく似た名前を持つ源頼光について少々書いてみたいと思います(^^) 能楽に「侍女の姿を借りた土蜘蛛の精魂に毒薬を飲まされ高熱にうなされ続ける源頼光、その枕元に土蜘蛛は今度は法師の姿となって現れ、糸でぐるぐる巻きにしようと襲いかかったものの、頼光によって名刀・膝丸で切りつけられ、傷を負いながら姿を消す」という、頼光塚の伝承と展開の似たような『土蜘蛛(葛城山)』という源頼光にまつわる作品があります。 伊勢崎では源頼光(摂津源氏系)についての言い伝えはあまり聞かないように思いますが、市内にいくつもの伝説を残している源義経(河内源氏系)が都落ちした際の一行に源頼光の子孫・源有綱がいたり、義経が頼朝との関係修復を祈願して奉納したと語られる「薄緑」という刀は、頼光が土蜘蛛を切ったとされる膝丸が名前を変えたものともいわれ、義経だけでなく『頼光塚』と同じ名を持つ頼光と何かしらの縁が繋がっていそうで、そう思うと伊勢崎の歴史ロマンも広がりそうに感じられて、素敵ですね♪ 写真で見るのと実物を見るのとではまた雰囲気も違うと思いますので、興味を持たれましたらぜひ現地で、『頼光塚』の武者の化身そのものな石塔をご覧になってみてくださいね♪ 『頼光塚』 伊勢崎市東小保方町1772-2 取材:2018年7月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室