今回のいせさきふらっと観光は、三和町の片隅にひっそりとある義経と弁慶の足跡『掛矢清水』をご紹介したいと思います。 『掛矢清水』は、義経と弁慶が平泉へ向かう際に通ったといわれる「東(あずま)道」のあたりで、現在では、北関東自動車道東行きの伊勢崎インター出口分岐のカーブに沿った道路脇にありますが、周辺で目印になるものがほとんどなく、唯一の手がかりは地元の歴史研究会で建ててくださった『伊勢崎の義経物語 弁慶の掛矢清水ゆかりの地』と記され、水路の写真が入った白い案内板。
ところが、場所がちょっとわかりづらいのに加え、訪れた時には草木が生い茂り、この案内板を探すだけでも一苦労… 掛矢清水を訪れる際には、草が少ない時期を選んで行くと、この記事の写真よりももっとしっかりと見ることができるはずです(笑)
この『掛矢清水』って、名前だけを聞いても「何か水に関するものかな?」と感じる程度かもしれませんが、そこに残る伝説はなかなかユニーク! 義経のお供としてこの地を訪れていた弁慶。 喉が渇いたという義経に命じられ、水場を探したものの見つからず、天に念じることに。 すると、天からの声が「立っている下を叩いて見よ」と言うので、背負っていた七つ道具のひとつ『掛矢』で地面を叩くと、お告げの通りに清水が湧き出し、義経も喉を潤すことができた …というもの。 弁慶の七つ道具には、大鋸、鉄熊手、まさかり…など、ちょっと物々しいアイテムが挙げられますが(笑)、『掛矢』というのはどんなものだろうか?と思い、調べてみると、建築などの現場ではよく使われているもので、家を建てる時に梁を入れるのに使ったり、地面に杭を打ち込んだりする時に使う『大きな木槌』『大槌』とのこと。 弁慶が活躍していた時代では、もしかしたら武器的な使い方もされていたかもしれませんが(笑)、一般的には土地の開拓や築城の必須アイテムだったようです。 掛矢は現在もホームセンターの工具コーナーでも定番で扱っている道具で、何気に持ってみたら、腰が引けてしまうようなその重さにビックリしてしまいましたが(笑)、そんな重い道具を七つ道具のひとつとして持ち、長旅をしていた弁慶は、やはり、伝説のとおり剛力だったのでしょうね(笑) この辺りの地域では、比較的多く湧き水があったそうで、弁慶が伝説を残した『掛矢清水』もそのひとつと言われています。 周辺には大きな道路が通り、工場などの大きな建物も新しい住宅も増えてきていますが、今もまだ多くの田畑が広がり、古くから豊かな水資源に恵まれていた地域であったのでしょう。 この掛矢清水から近い所には、同じく義経にまつわる伝説のある『酒盛地蔵』もありますので、『掛矢清水』へお出かけの際にはぜひ、そちらも合わせて訪れてみてくださいね♪ 『掛矢清水』 伊勢崎市三和町 取材:2017年8月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、伊勢崎のまちの魅力を研究し、より多くの方に訪れていただけるよう発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室