Co-ラボisesaki 伊勢崎まちなか探訪研究室『いきさき、いせさき』【バス停編・26か所目】下蓮町『右赤城』
“研究員がちょっと気になるもの”を紹介する、伊勢崎まちなか探訪研究室『いきさき、いせさき』
群馬県民には“そこにあるのが当たり前”ですが、近年は日帰り旅行や登山・トレッキング、自転車などのブームもあり、県外の方からも、交通の便も良く気軽にお出かけできる山として人気を集めている赤城山。
今回の『いきさき、いせさき』は、いせさきしコミュニティバス『あおぞら』の南部シャトル『下蓮町北』バス停から徒歩で約3分、『子供のもり公園』からも徒歩10分程度という場所にある赤城山にちなんだ名所『右赤城』をご紹介したいと思います。
江戸時代の伊勢崎には、京都の朝廷から日光東照宮で徳川家康の命日(4月17日)に合わせて行われる大祭へと、「例幣使(勅使)」たちが「幣帛(へいはく)」と呼ばれるご供物を届けに行く為に通る『日光例幣使道(日光例幣使街道)』と名付けられた街道がありました。
この街道は、中山道倉賀野宿から分岐した所からが『日光例幣使道』となっていますが、現在の鹿沼市の楡木宿まで行くと日光西街道と合流、日光街道今市宿へと至り、日光東照宮へと繋がります。
京都から日光へと向かう場合、日光例幣使道では西から東に向かうため、赤城山は左側に見えるはずなのですが、この『右赤城』と呼ばれる区間だけは、街道の中で唯一、赤城山が右手に見える場所だったのだそうです。
地図にしてみると、右赤城の区間はなぜか、わざわざ遠回りしているように大きく道が逸れています。
ちょっと不自然な感じがして、なぜこのような街道づくりをしたのか…といった疑問も出てくるかもしれませんね(笑)
この付近では街道に沿うように広瀬川があり、もしかすると、街道が整備された当時はちょうどこの右赤城にも沿うように川がカーブを描いて流れていたことで、たまたまこうした名所ができたのか、もしかしたら、はるばる京都からやってくる例幣使たちに旅の疲れをいやしてもらうための計らいとして、ちょっとだけ道を曲げたのか…(笑)
実際の事情はわかりませんが、長い日光例幣使道、いせさきの中にこうした珍しいスポットがあることは、ちょっと嬉しい気持ちになりますね♪
例幣使たちは京都を4月1日に出発し、日光に到着するのは4月15日だった…とのことで、今回の取材でも、4月の晴れた日に合わせて『右赤城』を望みに出かけてみましたが、この日は生憎の春霞で遠くになんとなく赤城山のシルエットが見える程度…
もしかすると、例幣使たちも『右赤城』を楽しみにこの街道を通るものの、晴れていてもこのように霞んでいたり、お天気に恵まれないこともあったかもしれませんね(笑)
この『右赤城』、日光例幣使道の中では本当にわずかな区間ですが、話のタネにもぴったりのスポットですので(笑)、現地を訪れて、例幣使気分で赤城山を望んでみるのはいかがでしょうか?
『右赤城』 伊勢崎市下蓮町
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取材:2017年4月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
伊勢崎まちなか探訪研究室『いきさき、いせさき』
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。
その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、普段あまり気に留めないようなニッチなポイントからも伊勢崎のまちの魅力を研究し、『いきさき、いせさき』として発信しています。
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