古くから交通や文化の要所でもあった伊勢崎には、数々の伝説が語り継がれるスポットがありますが、今回の『いきさき、いせさき』では、源義経に関する伝説が残されるスポット『牛石』をご案内したいと思います♪
『牛石』は、いせさきしコミュニティバス「あおぞら」赤堀シャトルバスの「五目牛入口」バス停から徒歩約10分、粕川沿いの砂利道からちょっと入った『洞山(堂山)古墳』と呼ばれる小山のふもとに位置しています。
柵などで囲まれている訳ではなく、パッと見では「どれが牛石なんだろう?」と思うほど風景に溶け込んでいますが、その中にポツンと立っている白い看板がその牛石の目印! 看板に向かってクルマ1台通るのがやっとの砂利道を歩き、牛石に近付いてみると、思った以上の大きさにちょっとビックリします。 牛に見える部分の横幅はおよそ11m、高さは2.2m…比較の為に、画像に軽ワゴン車をイメージしたイラストを添えてみましたが、大きさの雰囲気が何となくでも伝わるでしょうか?
看板にはこの牛石の伝説について書かれており、歴史好きな方はこれを読むだけでもワクワクすることでしょう♪ 牛石の後ろ側に回り込むと、なぜか「昭和三十四年」と彫られており、その近くには切り出そうとした跡のような、四角い穴がいくつも開いています。 そして、この牛石の後ろにも「巨石と化したびょうぶ」なのでしょうか、小さな祠のある大きな石があり、その背景には洞山(堂山)古墳が。
さて、この牛石の伝説では、義経が東道(旧東山道・本州の内陸、奈良の辺りから青森までを貫く道)を通って奥州へ…とされていますが、本当に義経はこの地を訪れていたのでしょうか? 義経が京を追われてから奥州に辿り着くまでのルートについては、北陸を中心に多くの伝説がありますが、古い時代のことなので、明確な記録は残されていません。 義経がいた時代は、現代のように写真やインターネットなどもなく、流れてくる情報の中には時系列のズレや間違ったものもあったかもしれませんし、正確に本人かどうかを特定することも難しかったのではないかと思います。 もしかすると、残されている義経の伝説の中には、影武者によるものも紛れ込んでいたりするのかも…!? そんなことも考えながら、京を追われた後の義経の伝説の軌跡を辿ってみると、歴史散策や旅行だけでなく、普段のおでかけの楽しみもさらにアップするかもしれませんね♪ 最後に、この『牛石』のある場所は公園のような公共の場所ではなく、すぐそばには一般の方のお住まいもありますので、私有地への立ち入りはせず、地域の住民の方のご迷惑にならないようにご見学くださいますようお願いいたします。 『牛石』 伊勢崎市五目牛町 『いきさき、いせさき』バックナンバー・最新記事は随時追加となりますので、これからも引き続きご贔屓のほど、よろしくお願いいたします! 取材:2017年2月 Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究員
Co-ラボisesakiでは、“「アナタの楽しい」を「ミンナの楽しい」に!”をキーワードに、様々な思い(研究)を、同じ思いを持った皆さん(研究員)と共に、共有すること(研究室)で形にしていくお手伝いをしています。 その中のひとつ、「Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室」では、普段あまり気に留めないようなニッチなポイントからも伊勢崎のまちの魅力を研究し、『いきさき、いせさき』として発信しています。 ※ご注意:本記事は上記の日付をもとに作成しています。実際の内容等について取材後に変更されている場合もありますので、お出かけ前に最新情報をご確認いただくことをおすすめします。また、記事と情報が異なる場合、imapは一切責任を負いませんのでご了承下さい。(記事と情報が異なる場合もありますので ご了承下さい。)
伊勢崎まちなか探訪研究室『いきさき、いせさき』